◆昨夜の「通信」の話のつづき。
昨夜も触れたように、これまで「学級通信」「学年通信」「学年事務通信」「研修通信」「教頭メモ」「職員室通信」「主任会通信」……等々、いろいろな「通信」を発行しつづけてきた。
「通信」には、(1)現状をどう受けとめているか? (2)その現状をどういう状態にしたいと思っているのか? (3)そのために具体的にどんな方法をとるべきだと考えているのか? そして、もちろん根本に(4)全体(教職員・保護者・生徒等)と部分である自分とがどう結合・統合していると自分は感じているのか?……等々が、もっとも必死なかたちで収斂されている。
わたしは自分のことを「通信魔」だと思っている。
それは、「通信」を発行するという方法以外にも、いろいろな方法が考えられるのに、そのなかから特に「通信」を発行するという手段を選択し、加えて、それで最後まで押し通そうとするからだ。
これまでの同僚のなかには、わたしがあまりに「通信」にこだわるので違和感をもった人もいたはずだ。
夕食中にバタバタと(バタバタでは済まない。バタバタ、バタバタ、バタバタ、バタバタと)通信を印刷し、「そこまでやらなきゃいけないの!!!」と妻を怒らせたこともある。
◆その「通信魔」の原点……というか、わたしに強い影響を与えたのが、堀辰雄の『書簡集』、ドーデの『風車小屋だより』と、もうひとつ、強い影響というより、かつて自分がやっていたことが現在の自分を強くしばりつけているという意味合いのほうが強いのだが、教師の仲間内でやっていた『やまねこ通信』だ。
堀辰雄の『書簡集』とドーデの『風車小屋だより』の説明はまたいつかすることにして、今は『やまねこ通信』について簡単に説明する。
若い頃、教師仲間で互いの実践を持ち寄り、意見交換をしたり、模擬授業をしたりしていた。
持ち寄る資料のなかには、きちんと仮説を立て、生徒を実験群と統制群に分け、ひとつの結論を導き出した論文もあったが、たいていは、自分で作成したワークシートや試験問題、それに、それこそさっき発行したばかりという「学級通信」などにメモ書きしたようなものだった。
その持ち寄った資料を綴じて製本したのが『やまねこ通信』だ。
題字を書いてくださったのが、なんと野口芳宏先生だった。
ページを開くと、部活動を終わらせ、息せききってかけつけた仲間の表情が浮かぶ。
語りが聞こえる。
もう一度、ここに帰りたい。
帰らなければいけない。
◆これ(600字の教育学)は、1日の終わりに、クタクタになり、ボロボロになり、発泡酒に少し酔い、ヨタヨタと記述するブログだ。
厳密に前後を考えて書いているわけでもないし、結論を定めて書いているわけでもないし、また結論をつきつめようとしているわけでもない。
だから、実は、こうして書きながら、自分が何を書きたいのかが、今、やっとはっきりしてきたのだ。
ホンマ、なにしてマンネン、スンマヘン、スンマヘン。
今、わたしは、もう一度『やまねこ通信』に戻ろうとしている。
それは、いつ頃からか、わたしの「通信」には『やまねこ通信』とは違う方向……というか、『やまねこ通信』がもっていたよさが抜け落ちていることに気づいたからだ。
今の「通信」には(1)現状をどう受けとめているか?という内容が含まれている。
(2)その現状をどういう状態にしたいと思っているのか?という内容も含まれている。
(3)そのために具体的にどんな方法をとるべきだと考えているのか?という内容も含まれている。
いい加減なことは書いていないつもりだ。
ま、書きたくとも(弱い)立場上、あるいは、あっち立てればこっち立たず、こっち立てればあちら立たず……で書けないこともあるけれども……
問題は、(4)全体(教職員・保護者・生徒等)と部分である自分とがどう結合・統合していると自分は感じているか?……がスッポリと抜け落ちているのだ。
くどいようだが(←少し酔っぱらっているので)『やまねこ通信』は(1)も(2)も(3)もはっきりしない。
しかし、(4)がある。
くどいようだが(念のために)、もう一度『やまねこ通信』に戻ろう。
小高進の公式HPへ どんどん来てやぁ〜! 待ってまっせぇ〜!
本当の教育をやっている人がまだまだ少ない。