LDやADHD,特別支援教育の話題を取り上げ,毎月5日に更新しています。ときどき私,カズ先生のエッセイや教育論なども載せています。


http://edublog.jp/kaz1229/index1_0.rdf
プロフィール

上野 一彦

1943年生れ,東京都出身。東京大学大学院修了後,東京大学助手,東京学芸大学講師、助教授、1990年より教授、2009年退職。東京学芸大学名誉教授。現在、大学入試センター特任教授。早くからLD教育の必要性を主張。その支援教育を実践するとともに啓発活動を行い,1990年全国LD親の会,1992年日本LD学会設立に携わる。ITPA,WISC−V,LDI-R(LD判断のための調査票),PVT-Rなどの尺度開発。文部科学省「学習障害児の指導方法に関する調査研究」「21世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究」「特別支援教育の在り方に関する調査研究」の協力者会議委員,文科省初中局視学委員,東京都「心身障害教育改善検討委員会」委員長等を務める。1994年より日本LD学会会長、2009年同法人化に伴い一般社団法人日本LD学会理事長。一般財団法人特別支援教育士資格認定協会副理事長。財団法人日本英語検定協会理事等。
著書に「LDとADHD(講談社)」 「LDとディスレクシア(講談社)」「LD教授(パパ)の贈り物(講談社)」「LDを活かして生きよう(ぶどう社)」など多数。学校心理士,特別支援教育士SV,文部科学省小中局視学委員,東京都特別支援教育心理士等。

ブログを見る
プロフィールを見る
バイオグラフィを見る
最新記事
リンク集
おすすめの書籍
 
カズ先生の最後の授業 [2010年02月05日(金) ]
平成22年2月2日 2がたくさん並ぶこの日、35年間教えた東京学芸大学での最後の授業を終えました。東京には珍しい雪が薄らと積もった日でした。昨年3月退職し、公的な最終講義はとうに終わっていたのですが、1年間特任教授として学部と大学院の授業を継続してほしいと言われ、その延長だったわけです。まあ、なんとなく締りのない形だったのですが、ソフトランディングという意味ではよかったと思っています。
最後の授業なんて大げさなもののいいようですが、私は「ものかき」のまねごとを始めたころから、本業以外の非常勤をすべてお断りし、退職後も藤沢周平の世界によく出てくる「致仕」後の隠居姿になんとなく強いあこがれをもっておりました。そういうわけで学生さんを前にしての授業はこれで終わりという覚悟でこの一年間臨んできました。
よくあるようにとうとうその日が、あっけなくやってきました。最初は学部の「教育相談」の授業です。人間理解の本質を伝えたいと、出来るだけ広い角度から学生を刺激するよう心がけました。一人の学生が「人生を教えてもらった」なんていう感想をくれ、それなりにうれしかった。
次は、院の臨床心理学のゼミで、心理アセスメントの私の知識のすべてをぶつけてきました。ここから子どもたちの学校臨床や教育相談に関わるすぐれた人材が育ってほしいと、そんな気持ちで一杯でした。
そして本当に最後の授業は、私の教室の教員養成とカウンセリングの学部学生への発達障がいへの理解と対応の授業です。学部で唯一のLDに関する私の専門の授業であり、現場へ旅立つ学生に、こうした子どもとたちとの関わりや支援を通して学ぶ厳しさと素晴らしさについて、私なりのメッセージを確実に伝えようと毎回燃えました。
時間は軽やかにあっという間に過ぎていきました。終わりに「あなたたちを教えられたことに感謝したい」とただその一言しかありませんでした。いつも最前列いた顔なじみの学生が、「高校の後輩がLDに興味を持ち、学芸大に入れたら先生の授業を聴くのを楽しみにしていたのに」と身に余るはなむけの言葉を贈ってくれました。
ほんとうにいろいろなことがあったな、もうこの教室に来ることはないのだなと、講義棟を見上げつつ部屋に戻り椅子に座ったら、不覚にも自然と涙があふれてきました。先生としては正直、最後まで未熟だった気がします。ただ信条というか、崩さぬ姿勢があったとすれば、それはいつも一生懸命だったことでしょうか。こうして最後の授業は幕を閉じました。
始まりがあれば終わりがあるということ。何事も区切りです。来週は成績つけと部屋のかたづけです。きっとがらんとした研究室を出て行くとき、またたくさんの思い出が甦ってくるのかなと思いつつドアを閉めました。先生らしくない先生をどこか目指していた気がしますが、やっぱり先生でよかったなと、しみじみと余韻に浸りながら帰路につきました。
Posted at 11:53 | エッセイ | この記事のURL

学級定員と特別支援教育 [2010年01月25日(月) ]
現在、我が国では通常学級の定員は40名を越えないという基準があります。一部政令指定都市では35人学級を実現しているところもあるようですが、政権交代とともに学級定員を下げる動きがあると聞きます。
だいぶ前ですが、適切な学級定員は何人か、大学で研究結果を出してほしいと文科省の方から求められたことがあります。一般的には、一クラス20人程度といわれます。それ以下だと、グループダイナミクス的に人間関係が固定化され、集団としての機能が変化しにくいとか、チーム的なスポーツ編成などもしにくいといわれます。
現在、全国的な通常学級の平均人数は22〜23人だそうですから,ちょうどよいという乱暴な意見もあります。なぜ乱暴かといえば、それですと20〜39人までのクラスサイズが存在することになるからです。
地方自治体によっては39人学級の解消から始めようとする動きもあるようで、やがて38,37・・・と減らしていくようです。
単純な30人学級の実現よりは確かに現実的だと思いますが、発達障害のような支援ニーズのある児童生徒への校内システムがきちんと整備されていくこと、また、知的障害などに対しても、本来の@交流と共同学習の促進、A特別支援学級教員の活用が積極的に展開されることが大切です。
はっきり言えることは、「通級による指導」の場が、心と学力の「保健室」といった位置づけで校内に常設され、そのスタッフとして常勤の教員と支援員によって、通常学級への「入り込み指導」と通常学級からの「取り出し指導」が子どもの状態によって弾力的に機能させることです。
さまざまな支援ニーズを持った子どもに、連続的で適切な支援が実現しなければ学級定員だけでは子どもも先生も満足できる教育の実現には至りません。
公立学校の土曜日授業の復活もささやかれており、もっと長期的で全体的な目標設定が欲しいですね。
Posted at 06:29 | この記事のURL

米国の2E教育について [2010年01月15日(金) ]
米国の2E教育について−LDであってギフテッド(gifted)な子どもの教育− 
かつて日本の特殊教育では身体に障がいのあるひとや知的に遅れのあるひとのへの支援が中心でした。諸外国では知的に非常に高い子ども(Exceptional Children:特別児)も特別な教育の対象で、GATE(Gifted and Talented Education:英才児教育)と呼ばれました。
特殊教育を心身障害児教育と言い換えていたりしたのは非常に狭いとらえ方だったわけです。
さて、最近、アスペルガ―症候群と診断された方から「Gifted(優秀な人などと訳さず、ギフテッドとそのまま言いたいと思います)」についてご質問があり、そのやりとりからスーザン・バウム教授の名を知りました。そのことを調べていくうちに、教授が提唱する2E(才能も障害もある「二重に特別な(twice-exceptional[2E]」)子どもたちを対象とする教育方法(2E教育)とそれを紹介する野添絹子さん(早稲田大学大学院教育学研究科教育基礎学専攻博士課程)の「2E教育の可能性を探る」という興味深いインタビュー記事を読み、今回はそのことをお伝えします。
野添さんの2E教育の理論的・実践的研究の第一人者であるニューロッシェル大学のスーザン・バウム名誉教授と2E教育実践のパイオニアである南ウェストチェスターBOCESのロイス・ボールドウィン特殊教育部長へのインタビュー記事からの抜粋です。
2E教育のはじまりは?
1980年代初頭に、連邦政府が「才能のある障がい児」の資金供与プログラム実施校を募集した際、ウェストチェスター共同教育委員会の案が採用されました。同委員会の案は、才能教育と特殊教育両方の優れたノウハウを活かして融合させたプログラムとなっており、その後、他の地域の実践モデルとなったので、2E教育発祥の地と呼ばれています。
2Eは、以前は「才能のある LD児」という意味で、「GT/ LD(gifted and talented students with learning disabilities)」と呼ばれていました。しかし、LDは他の発達障がいと併存することもあるので、学習障がいに限定せずに「広く学習困難を最適に処遇しよう」という意図で、ここ数年、広く 2Eと呼ばれるようになりました。
2Eの生徒が学習を成功させるためには?
自分に合った学習法を見つけ出し、それを自分のものにすること」が大切です。例えば、読みに障がいがある子どもなら、歴史を漫画で学んでもいいし、教科書も図や絵を多く取り入れた視覚に訴えるものがいいでしょう。彼らなりの思考法、学習法を刺激し、弾力的に対処をすればいいのです。学習には、これらの子どもたちの持つユニークさや独自性を生かす工夫が必要です。2Eに限らずLDの子どもにも同様のことがいえます。
LDには、言語の操作に関係する能力は弱い代わりに、視覚的、空間的な操作に関する能力は強いというように、個々の能力による違い(個人内差)があります。ですから、視覚に弱い生徒には、聴覚刺激を工夫する方がいいのです。視覚的操作能力が弱いからといって、視覚刺激ばかりを与えると、本人に過剰な負担を押しつけることになり、かえって勉強嫌いになります。強い能力(才能)に注目して、それを積極的に活用する指導が2Eの学習方略のベースにあります。
2Eの生徒の悩みとは?
2Eの子は知的発達に顕著な遅れがないので、自分の状態がよく分かり、そのことで深く悩んだり、周囲の反応を敏感に受け止めてしまって不安を感じたり、自信をなくしてしまいがちです。
IQの高さがそのまま良い成績や精神的自立につながるわけではないので、その高さが逆に本人を追い詰めて、高い要求水準と現状とのギャップから、自己不全感につながってしまうことがよくあります。これが学習全般への抵抗感や意欲の低下につながっていってしまうのです。
また、障がいが軽度であることから周囲に理解されず、勉強のできなさを「努力不足、やる気のなさ」と思われてしまい、適切な対応がなされないこともあります。そのため、本来の原因から派生する困難の他に、二次的障がいを引き起こすことがあり、事態を深刻化させてしまっているケースも見られます。
これらに対処するために、2Eのプログラムができました。そこでは特別クラスを編成しますが、他の子どもと隔離することはしません。また、アインシュタインや、レオナルド・ダ・ヴィンチのような特別な子どもに育てようとするものでもありません(二人ともLDであり、脳機能が障がい部位を補償して天才になったといわれている)。
2E教育の目的は?
あくまでも「通常学級で他の子どもたちといっしょに学習できるようになること」です。 2Eの子どもが自分の長所・弱点を認識してその弱点を補うスキルを身に付け、学習する自信と意欲を持ち、通常学級へ帰って行けるようにすることが私たちの仕事です。
そのために、才能教育の方法である「早修」と「拡充」プログラムを行っています(早修とは、通常の年齢で行われる標準カリキュラムよりも進んだ内容の学習であり、拡充は、多様な学習の経験を通して、理解の深化・拡充を図る)。これらの子どもたちには認知機能的に、「易しい内容よりも少々ハードルの高い内容の方が適している」のです。
続きを読む...
Posted at 05:27 | この記事のURL

あけましておめでとうございます [2010年01月05日(火) ]
2010年(平成22年)がスタートしました。
1年の計は元旦にありといいます。最も元旦は1日の午前中を言うようですが。
退職して初めての正月、気のせいか心に余裕があります。残された人生、大切に生きていきたい、そんな気持ちでいっぱいです。
暮れの29日に66歳を迎えました。(車のナンバーは77)つまらぬことですがこの66歳なんとなく気にいっています。
大学入試センターでの「発達障害」の特別措置関係の仕事は、ライフワークのまとめとしてがんばります。法人化したLD学会とS.E.N.S協会を軌道に乗せるべく努力すること。渋谷区での特別支援教育のモデルつくり。東京都の高等学校の派遣事業など、私なりにお手伝いしていこうと思っています。
個人的には、WISC-Wの日本版刊行、エッセンシャルシリーズ第2弾「WISC-W」の翻訳、LDやアスペルガー関係の著書の刊行など、いづれも楽しみながらの仕事して参ります。
昨年5月から始めた早朝スイミング、無理をせず週2、3回は続けていきたいと思います。メタボ対策でもあります。天文台の世話、エッセイ、川柳など、すばらしい友人たちに囲まれながら、まさに感謝しつつ人生味わっています。夏にはスペインに行ってみたいと密かに計画中です。
本ブログも、いよいよ4年目に入る特別支援教育を中心に皆さんと一緒に歩んでいきたいと思っています。写真もときどき入れる努力をいたします。では本年もどうぞよろしくお願いします。
Posted at 22:12 | この記事のURL

大学入試と「発達障害」 [2009年12月25日(金) ]
本年最後の更新です。振り返ると個人的には激動の1年でした。大切な人々とのつらい別れもありました.まさに人生の節目でもありました。3月学芸大学退職後、4月LD学会・S.E.N.S協会の法人化、6月から大学入試センターで、(仮)入試選抜共同研究機構創設の準備と同時に、センター入試の特別措置委員として「発達障害」の高等教育の課題に取り組んでいます。LD教授(パパ)としてはライフワークのまとめとして、正直もうひと努力と言ったところです。
(日本教育新聞 平成21年12月21日の記事です)
大学入試センター試験での発達障害への特別措置について、上野一彦・大学入試センター特任教授に話を聞いた.
―センター試験で障害のある生徒が受けられる特別措置を教えてください。
「現在、特別措置は障害別に、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、病弱、その他、イヤホン不適合―があり、その障害の内容や程度によって、さまざまな特別措置が受けられます。」
―発達障害の項目はありませんね。
「17年度に発達障害者支援法が施行され、特別支援教育体制の推進も小・中学校から幼稚園や高校にも広げられました。発達障害の理解と対応を求めるニーズは次第に大学にも及び始めています。」
「近年、その他の項目などで、発達障害のある生徒からの申請もでてきており、これまでの特別措置の範囲内で、配慮を検討してきた経緯があります。昨年度、「ディスレクシア(LDの一種で読み障害)」で特別な措置を認められたケースが初めてありました」
―諸外国では、発達障害に対してどのような特別措置があるのでしょうか。
「例えば、アメリカの高校生が大学進学の際に受験する共通テスト・大学進学適性試験(SAT)などでは、試験時間の延長、拡大文字の使用や読み手をつける、解答の際の配慮など、さまざまな措置が認められています。
「また、日本語を母語(子どもの頃から使っている言葉)としない人を対象とした日本語能力試験((財)日本国際教育支援協会)でも、10年以上も前から、LDなどの発達障害に対する特別措置を世界各国で実施しています」

―今後の大学入試センター試験の発達障害のある生徒への対応は。
「センターは本年度、特別措置委員会に発達障害を検討する専門委員を加えました。また、今後の入試制度をさまざまな角度から研究するプロジェクトタイプの入学者選抜共同研究機構(仮称)の創設準備を進めています。その中にも発達障害に関するプロジェクトが含まれています。このように発達障害のある申請者への本格的な対応準備はわが国でも確実に進みつつあります」
「アメリカではLDなど発達障害のある大学受験者は全体の2%という数値も報告されていますが、日本でどれほどいるのかは現時点では不明です。しかし、義務教育段階で「通級による指導」を受けている児童生徒の数は急増しており、高等教育への波及は必至でしょう」

―発達障害の特別措置申請時の医師の診断書の有無は。
「特別措置を受けるに当たっては、他の障害と同様、医師の診断書が必要です。さらに、どのような支援や配慮を受けてきたかという情報も有用です」
―旧共通一次であり、国立大学以外でも多用されているセンター試験。影響力は絶大です。
「センター試験は大学入試の基本モデルです。各大学の特別措置も入試センターに準ずる可能性は高いと思います」
「センター試験で発達障害への特別措置を明示することは、重要な社会的メッセージです。センター試験での配慮事項は、高等学校や大学などにおける授業や考査などでの配慮にも関係します。障害理解と対応が高等学校や大学などにも広がることが期待できます」
「国連で採択された障害者権利条約の批准が進行中ですが、障害(特性)があることを理由に差別したり、不利を及ぼしたりしてはなりません。優れた人の中にも、認知面などでバランスの悪い人がたくさんいます。今後、センター試験で発達障害の特別措置を設けていくことは、インクルーシブ教育という面からも大きな前進です。そのために前向きに、一つ一つきちんと積み上げていきたいと思っています」
Posted at 06:12 | この記事のURL

[LDを活かして生きる」余話 [2009年12月15日(火) ]
二カ月前、LDパパ(ことカズ先生)のつたないエッセイストとしての第2弾「LDを活かして生きる」(ぶどう社)を出版した。このなかには1年前の作家市川拓司さんとのあの愉快な対談も収録されている。それは「われら発達障がい仲間」を意識した本でもある。
こうした私の新たなチャレンジは、私の中のLDをカミングアウトするとともに、その連続性から私のライフワークであるLD教育とインクルージョンの姿を、エッセイを通して伝えたいという意図がある。
この本を中学以来の親友の奥さんにも届けた。その友人は新聞記者を皮切りにマスコミの世界に身を置いたが、まだ現役であった10数年前に若年性のアルツハイマー病に罹り、今は療養中である。最近、病は進行の兆しを見せ、断片的な記憶の中から50年来の古いわれわれの顔と名前をかすかに認識し、調子の良い時は連想的にあの豊富な語彙と知識の名残りを言葉として発し、驚かせることもあるが、多くの時間は希薄さというかだんだん透明度を増していっている気がする。
彼は友人の中では、だれよりも物知りであり、だれよりも自制心が強く、だれよりも愛妻家であり、そしてだれよりも繊細なこころを持っていた。子宝にも恵まれたが、息子さんは私同様、LD的なところがあり、育てにくいとこぼし、幼児期に奥さんが大学に相談に来られたこともあった。以後、「息子さんはどうしてる」と会話の端に上ることもたまにあったが、無事、成人、就職し、今は自宅のそばのアパートで自立している。ただ一緒に酒を酌み交わすといった親子関係ではなく、お互いに相手を意識し、母親がその仲介をするといったやや緊張した関係ではなかったろうか。作家室生犀星などの父子関係もよく知られているが、父親を苦手としてきた私自身にもぴったり当てはまる、どこにでもある典型的な父子関係の一つと想像していた。
その友人の奥さんから、読後感想をいただいた。失礼かとも思うが、親子について深く考えさせられることもあり、その一部を載せることをお許しいただきたい。

今朝、ポストに届いておりました。家事の合間に読書(読書の合間に家事)の一日でした。読みながら想うことが沢山あり、少しだけお伝えしたいと思います。
今から30年程前、幼かった長男が急に「風がこわい!!」と叫び、家を飛び出し、そのまま一歩も家の中へ入らず屋外での生活を始めました。食事も外、遊びも、着替えもトイレも何もかも外でした。夜はおんぶをして寝かしつけ、眠ってから家の玄関にふとんを敷き寝かせましたが、夜中に目を覚ませば恐怖心に泣きながら又外に飛び出す・・・といった異常な状況で、母親としてどうして良いやら見当もつかず、毎日ただうろたえるだけでした。そして忘れられないのは主人の「お前がこういう神経質な子どもを育てたんだ…」という一言でした。
主人と長男はその頃からか相容れない仲になってしまい、何かにつけ息子に厳しく向かう父親でした。私から見れば長男は主人の神経質な部分をそっくり受け継いでいると感じていましたが、だからこその拒否行為だったのかもしれません。
頂いたご本の4人の対談を読みながら主人にも長男にもLDの共通点を見出した思いです。
今、主人は病気のため、私の事はわかったり、わからなかったりですが、長男の事はいつも気にしています。娘たちが「あんなに嫌っていたのに、一番よく覚えているんだね」と云うほどです。嫌うという事は意識をすることですね。必要以上に意識していたのでしょう。息子も一人でときどき病院に行っているようです。看護師さんが「息子さんが来ましたよ」と教えてくれます。息子が見舞った後に、私が行くと「〇〇(息子)は?」と何度も尋ねます。哀しいかな…です。
今日一日 上野さんからの贈り物の御本で色々な事が思い返されました。感慨ひとしおです。良い時も悪い時も私の人生のひとこま、大切な宝物です。ありがとうございました。


カズ先生からのご返事
診断名はともかく、ご主人も息子さんも私も同じ発達障がい圏にあるのでしょうね。重い軽いはあっても連続線上のどこかにあります。
似ているから気になる、許せない、これも父子には多かれ少なかれよくあることです。
夫が妻の育児のせいにする、これもたくさん見てきました。男は悲しい生きものです。
そして、母子の絆の強さにどこか嫉妬します。
ご主人もなぜこうなのだときっと苦しんだにちがいありません。
そのいらだちを妻にぶつけるしか術がないのも悲しい夫の一面です。
私自身もそんな父を見て育ちました。前作(「LDパパの贈り物」講談社)は苦手な父を受け入れ始めた私の姿でした。母が逝った今でも、心の奥底で父とどこか距離をおいてしまいがちな私がいます。
今、息子さんが父親を見舞う姿に彼の成長を感じます。彼自身、圧倒的な存在であった父親が、認知症を患い、すっかり弱くなってしまった今、初めて人間として受け入れられるようになったのでしょうね。
あなたも妻、母としての苦しみ、かなしみ、いきどおり、もだえ、たくさんあったことでしょう。
あなた自身の育ちのなかに、それを受けとめきった今のあなたのあることもよくわかります。
親しいあなたからこうしたお手紙いただき、本を出した甲斐がありました。ありがとうございました。
続きを読む...
Posted at 10:29 | エッセイ | この記事のURL

事業仕分けと特別支援教育 [2009年12月05日(土) ]
政権交替が特別支援教育にどのように影響するか静観しているところです。
ところで先日まで「事業仕分け」で連日NEWS話題を呼んでおりました。文科省事業も例外ではなく、関心高く見守っていましたが、JDDネットの山岡さんから貴重なご報告いただきました。

「義務教育国庫負担」の中には、教員定数改善要求が含まれており、この5500人の定数改善要求の中に、下記が含まれています。
通級による指導=1418名 特別支援学校のセンター的機能強化=313名 
「事業仕分け」の結果は、厳しい予想に反して、上々の結果となりました。
内閣府の以下サイトに掲示されていますが、
(1)教員が子どもと向き合う時間を増やすための調査・報告事務の削減、
(2)国と地方の在り方についての抜本的な整理、
を主眼とする『見直し』」という評価結果となりました。
冒頭、財務省主計局がネガティブな見解を述べたのに対し、枝野議員から「民主党マニフェストや総理指示でも『教員の質・量を充実する等により、質の高い教育、教育に集中できる環境を実現する』旨が示されており、こうした方向をいかに効率良く実現していくかを議論してほしい」との意見が出るなど、全体として、前向きな議論が展開されました。
この中で、藤原和博氏より、「先生が忙しくなっているのは事実で、中でも特別支援教育は絶対に対応せねばならない、というくらい緊急度が高い」
また、枝野議員から、「在籍率が10%近くに及ぶとされる発達障害のみならず、聴覚障害など従来からの障害種への対応でも現場は大変苦労されている。これら障害種についても技術進歩等により支援・対応の可能性が拡がっており、金額は少ないかもしれぬが、大変重要」等の意見があり、冒頭の評価となったようです。
まだ、財務省の巻き返しがあると思いますので、これで安心というわけではありませんが、
ひとまず、「必殺・仕分人」の裁きから、逃げ切った感じで、大変、嬉しいニュースです。
取り急ぎ、ご報告です。


前回の著作権法のパブリックコメントのときもそうでしたが、山岡さんが肝心なところをきちんと押さえていてくれるので本当に助かります。
新しい政局の中でも、特別支援教育がしっかり子どもたちのためによりよく展開してほしいものです。
最近強く思うのは「サービスとかシステムというものは、あるだけではだめで、使いごこちよく効果を上げるものでなくては意味がない」ということです。
続きを読む...
Posted at 23:18 | この記事のURL

福知山にて [2009年11月26日(木) ]
マネージャーなどいない悲しさ、先週は殺人的なスケジュールでした。月曜渋谷区専門委員会、火曜広島呉市で講演、水曜都立大江戸高校校内研修、木曜静岡県高等学校長会講演、金曜京都福知山市研究発表会、日曜大阪医科大学LDセンター研修会・・・ この週に、大学で敬愛していた恩師が逝去され、土曜日に京都から帰京、通夜に出席した後、また大阪と、JR東海から表彰されそうな日程でした。
この秋、大切な人々を次々と亡くし、少々もの思う日々です。「鬼籍入り増えりゃ逝くのも楽しみに」なんていう川柳詠んだりしてしまいます。
ただ、その忙しい中、心に残る出会い各地でありました。確かに特別支援教育の普及はまだまだこれからですが、確実に素晴らしい実践、素晴らしい人々が育ってきていることを確信します。
京都府の福知山市立下六人部小学校で行われた特別支援教育研究発表会では、発達障害のある児童を全校でしっかり理解して、包み込んで教育している姿は、感動的でした。1年生から6年生までどのクラスも、教室前面の黒板はすっきりと集中しやすく整理されており、今、授業でどこをやっているのかを示す進行板が掲示してある。どの教室にも残り時間を示す時計が準備してあるなど、日常の中での配慮に先生方の意志が見事に反映していました。明らかに授業から外れてしまいそうな発達障害がある生徒さんが、その流れの中で最後までついていっている姿に「通常学級の中で可能な支援」とはこういうものかと皆さんにお伝えしたい見事な内容でした。「こうした子どもたちを集団の中で配慮することは、ほかの子どもたちの理解にも効果がある」を地で行く実践でした。
今度福知山に行くときは志賀直哉の小説にもある城崎温泉にも寄ってみようかなと心に残る教育実践をお土産にあわただしく東京に帰りました。
Posted at 08:16 | この記事のURL

発達障害と著作権法の改正案をめぐって [2009年11月15日(日) ]
著作権法の一部を改正する動きがありますが、発達障害にとってもとても大切な法律改正です。この問題に熱心に取り組んでこられた保護者の一人でもある井上芳郎さんからその進行について貴重な情報をいただいておりました。
皆さんはデイジー(DAISY)ってお耳にしたことはありませんか。DAISYは、Digital Accessible Information SYstemの略で、デジタル録音図書を実用化するための国際標準で、近年、視覚障害者や普通の印刷物を読むことが困難な人々のためにカセットに代わるデジタル録音図書としてその開発と普及が急がれている情報システムです。わが国でも点字図書館や本を読めない方へのDAISY図書としての普及に力が注がれてきました。
諸外国では教科書などもDAISY化され、IT教材として広く利用されてきました。このようなIT技術の進歩は目覚ましく、単に視覚障害のある方だけでなく、LD(ディスレシアなど)にもその利用は大いに期待されております。
ただ教科書などの場合は著作権法との絡みで、さまざまな障壁があり今回の改正はそこの柔軟化を狙ったものと理解しています。ところで発達障害のことですが、改正案検討の中で、視覚、聴覚障害だけでなく、発達障害をその適用範囲に含むというところが大きな関心事でした。
6月の参議院文教科学委員会では、視覚、聴覚障害以外の方まで対象が拡大され、発達障害や精神障害等の他の障害をこの著作権法上でも位置付けられたとみられるやり取りがありました。以下がその政府答弁です。

→ 今回の法改正では著作物を視覚障害者、聴覚障害者に限らず視覚や聴覚により認識することに障害のある者であれば広く障害の種類を問わずに権利制限の対象とするという内容でございます。
→ 今回は典型的なものとして視覚障害者や聴覚障害者を例として示しているものでございますけれども、これはあくまで例示でございまして、その他発達障害や精神的な障害者なども含めまして、実際に認識に障害があれば広く規定の対象となるよう、特定の障害者を列挙する形にはしなかったところでございます。
→ 個々の障害の方たちの状況を見てそういったものを発行する可能性を広くとらえようという趣旨で今回の法改正の形にしているところでございます。


障害者の権利条約も採択されて、二〇一〇年の国民読書年に向けて読書のバリアフリー化を目指した運動も全国で始まっており、子どもたちの読書活動や、また、障害者の方々にも分け隔てなく情報が手に入るように、技術的には大きく進展していくものと期待されます。


続きを読む...
Posted at 05:45 | この記事のURL

別れ −美佳子さんに捧ぐ− [2009年11月04日(水) ]
人生には様々な別れがある。
つらいのは親しいものとの死による別れであろう。
3年前の母との別れは数年間に及ぶ認知症とのつき合いでもあったせいか、肉体は母であっても、そこにある母はすでに母ではなかった。
最後まで私の顔だけは忘れなかったのだが、ついにその日が来た時、一過性のものだとどれ程思いたかったことか。しかし母の心は二度と戻らなかった。やがて時間がその別れの準備をすっかり整え、やがて現実の別れの日を迎えた。
亡くなって半年もたったある冬の暖かい日、突き抜ける青空を見あげたとき、突然、「母はもういないのだな」と圧倒する深い悲しみに包まれた。

今、私はおおきな喪失感のなかにある。
私が心から信頼しきっていた、大事な愛娘にも等しい教え子をとうとう病魔に奪われてしまった。
あんなに愛していた小学生と中学生の息子、そして学生時代から皆がうらやむ仲の夫を残してである。運命への覚悟を秘めつつ、君が家族に寄せた愛のおおきさを誰も量ることはできない。なぜあんなに温かく、やさしく、聡明で、誰からも好かれる君が、こんなに早く逝かなきゃならないんだ。

臨床現場にでてよい仕事をしていた君が、論文をまとめると再び大学院に戻ってきた。私の大学生活も終わりに近付いており、博士課程の最後の指導学生となった。
論文の全体像がやっと形になり始めた1年半前、君は突然中断しなければならないという、悲痛な連絡をしてきた。誰もが、恐らく君自身が思いもしなかった病魔に襲われたこと、残された時間とエネルギーをその闘いと家族のために使わなければならないことを。
それからの君は冷静に敢然と病魔と立ちむかっていった。
その病気が発見されにくいこと、悪性度が高いこと、有効な治療法が確立されていないことから、21世紀に残された最後のがんと言われていることを見つめつつ。薬も副作用の強さから中止せざるを得なくなり、現時点ではなにも使える可能性のないなか、君は闘い続けた。
皮肉なことに、抗がん剤をやめてからは体調的にはずいぶん回復し、昨年秋の教育心理学会で発表もし、久しぶりに再会することができた。とびついてきた君がふんわりと軽かった気がしたのは私の思い過ごしだったのか。
周りに心配をかけまいと、君はいつも気丈にたち働いた。わずか3週間前、あなたの拠点でもあった大学で開催された第18回LD学会が君の最後の晴れ舞台だった。大会の人名索引を見ると、君はなんと5つもの役割を果たしている。ぼくだけでなく心配していた仲間の多くが、病魔はあなたに白旗を上げたのかと甘い期待をもち始めた矢先の突然の悲報だった。
亡くなる3日前の朝、「食事が摂れないので再入院している。点滴を受け、少し楽になったが、しばらく入院して様子をみることになりそうです。」とのメールが最後の連絡となった。

「先生、私は先生と出会えたこと、先生からとても多くのことを教えていただいたこと、本当に、本当に感謝しております。先生は私の学問や臨床の師であると共に人生の師であると思っております。そして今の私の状態も私自身は決して悲観はしていません。1つ1つの事実をしっかりと受け止め、治療もそして私自身の人生も前向きに取り組み、ていねいに生きていきたいと思っています。」
1年前、君が僕の退職に寄せてくれたメールを今読み返している。本当に残された短い時間を、君はていねいに、ていねいに、走りぬいたね。論文は未完だからこそ、僕は君をこれからもずっと指導し続けます。

最後に、ご主人と残されたお子達にお伝えしたい。美佳子さんは私たちにも常に限りなく温かく、やさしく、誠実で、ガンバリ屋さんだったことを。美佳子さんはこれからも皆の心の中でも生き続けていくことを。

彼女の素晴らしい人柄を偲びつつ、ただただ冥福を祈るばかりです。
Posted at 11:02 | エッセイ | この記事のURL

| 次へ
カズ先生のスケジュール(2月) 基本的に火曜日は東京学芸大学の授業日、木曜日は大学入試センターに特任教授として出勤 2月1日渋谷区専門委員会 2月2日国際治療教育 2月5日出版打ち合わせ・小貫出版記念会 2月6日論文発表会 2月7日WISC-4刊行委員会 2月8日出版打ち合わせ 2月10日東京都発達障害者普及啓発事業検討委員会 2月12日実験打ち合わせ 2月15日渋谷区専門委員会 2月16日八王子七中発表会 2月20日S.E.N.Sシラバス検討 2月21日学会連携会議 2月24日富山県立志貴野高校講演 2月25日長野県望月高校 2月26日都立荻窪高校研修 2月27日WISC−4刊行委員会 2月28日LD親の会20周年(横浜) 3月1日文科省特別支援教育ネットワーク推進委員会 3月2日渋谷区専門委員会 3月4日入試センター シンポジウムのための打ち合わせ 3月5日送別会 3月6日S.E.N.S会議・LD親の会養成事業会議 3月7日LD学会常任理事会 3月10日最終教室会議 3月14日学力研究会 3月15日渋谷区専門委員会 3月19日明治安田こころの健康財団評議員会。英検理事会 3月21日-23日天文台 3月27日東京都事業研修会  
2010年02月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28
カテゴリアーカイブ