書評は読まない? [2007年06月25日(月)
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「あのころ、ぼくのクラスも班競争だった。授業中の班学習から給食や掃除まで、学校生活のすべてが班単位で評価された。」 「班のある学級」はソ連の集団主義…と続く、読売新聞の書評欄に、「書評など、“8割褒め、2割くさす”のが常套手段だから読まない…」とかいっていた私なのに、思わず読み進めてしまいました。 書評を担当された、佐藤卓巳先生の筆捌きは、 「1960年代生まれの僕たちが書き残さねばならない学校体験である。」 というだけに、8:2とかいう常識をつき破ったもので、久方ぶり早速、一気読みするだけの読み応えがありました。 それにしても、この、 原武史著「滝山コミューン 1974」(講談社刊) という本、“目次”がない…。 市販の本で、こういうスタイルの本に、はじめて出会いました。 中味には、当然のことながら、明治図書が何回も登場するので、不思議な緊張感がありました。 全生研(全国生活指導研究協議会)の指導が子どもに与えた影響、水道方式(遠山啓・東工大教授)によるタイルを使った算数の指導の問題など、みいんな?明治図書刊の出版物です。 それを、編集者として、世に押し出したのは、わが編集部の大先輩・江部氏です。 なぜか、どの世界でも、プロモートした人については誰も関心をもってくれないのですが、江部氏がなかりせば全生研も水道方式もおそらく、世に出ることはなかったーのではないか?と思います。 ”水道“はあったかも知れませんが、相当遅い出発となり、世に与えた影響もあれほどビックではなかったことでしょう。 その結果については、いずれ江部先輩が、自身で総括されるだろうとは思いますが、 いずれにしても、私・樋口は“果たして総括の対象となるような問題提起をしてきたのか”という思いが去来しました。 それにしても、全生研の機関誌「生活指導」の原稿集めや、校正を担当していた時期もあった私としては、最近は、ライターの大半が機関誌に匿名で寄稿する状況で、(「昔はそういうことはなかったな」とか、「原稿が極端に遅かった大畑先生」とかのお名前をこの本のなかに発見し、懐かしいと同時に、最近ちょっとビビリ?すぎじゃないの?とか思いました) それでいて、「何で子どもの顔写真は入っているのだ」とか、その感性を、不思議に思うというか、大いに疑問に思ったりしている現状を、あれこれ伝達しているのに?運動体はどう受け止めているのだろうか?と、相変わらず“編集者の存在の軽さ”を悔しく思ったり…しています。 そういう意味では森昌行著「天才をプロデュース」という、ビートたけし&北野武という巨大ビジネスの社長業の内幕話の新刊は、面白かったーです。 プロデュ−ス業の極意?として、 ・ 「ビートたけしさんのすべてがすごいですよ」といいたいけどそうはいかない。だから自分の役割があるのだ。 ・仲がいいという関係ではない。常に一定の距離感を持って仕事をしている。 ・いつも、これで最後かもという姿勢で仕事をし、予定調和的な考えはない。 ・マネジメントの本質は他者の視点。ファンにはお金を払えばなれるけど、プロはお金を支払う立場ではなく、生み出す立場でなければならない。 など、まったく同感ですが、最大?の功労者でも名前さえ誰も知らないーという影武者…だものーと知人に嘆いたら、 「あなたの感性にぴったりじゃないの。それって、かっこいいと思ってるくせに〜」 って、いわれてしまいました…。 |








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